(タイトルは特に決めていない)

京央惨事(ケイオウサンジ)コラム過去ログ書庫。

【花岡】新宿のカフェにて【徒然】

花岡です。

最近こちらの更新が疎かなので、少し徒然なるまま、最近思ったことを書いてみようと思います。

 


とある日、新宿にて。

 


私の隣に座った男性二人組は、「俺は最近よく食うんだよね」で張り合っていた。

男性A「御苑の方にさ、肉専門の食堂があるんだけど、そこが飯おかわり放題なのね。俺そこで白米いくらでも食うよ。〆にまぜそばの追い飯までするから一人で一食二号は食ってるかな。」

男性B「マジで?俺は最近不健康でさ、帰りに必ずマック寄っちゃうの。帰宅すれば食うもんあるのに寄っちゃって。ダブルチーズバーガーのパテ二倍。しかもセットで頼むから普通にポテトやコーラも頼んじゃう。家帰っても普通に夕飯食えるんだよね。」

 


一方、私の後ろに座った女性二人組は、昔バリバリのギャルだったことを張り合う。

女性A「私昔はもう、金髪は常だし、赤も緑も青も紫もやって、常に髪を脱色してたわ。カラコンもバリバリ。つけまバサバサでさ。髪の毛未だに傷んでる。」

女性B「そーなんだ。私今はマツエクだな。でも一番やばかった頃はさ、ギャルっていうかバンギャだったの。パンク系?高いパンクブランドの服着てさ、ピアス開けまくって。もう飽きたけど。」

 


なんだかこの会話がとても面白く感じた。

きっとこの二人組みは両者とも、そんなに仲良くないのに頑張って敬語を使わずタメ語で話している。

上っ面を滑っていく会話、がよくわかる内容だった。

 


だけど、興味深いのは会話の内容ではなく、その流れである。

相手が「これだけの自分」を語れば、もう片方も「ここまでの自分」を語り出す。

考えられるのは2パターンで、

①自分の方を優位に見せたい

②共感を得て自己認識したい

この思考回路だと思う。

 


これは完璧に私の勘であるが、恐らく男性二人組は①、女性二人組は②のパターンであった。

 


男性二人組は、あたかも自らの生き様を誇らしく思っているように感じた。相手に負けたくない、相手より自分の方が余裕に恵まれ日々を謳歌している。そんな内容に感じた。

 


一方で女性二人組は、至って過去の自分たちを俯瞰し、語り合っていた。

会話を聞いた第三者(私)が少し懐かしさすら感じる程に、彼女たちはお互いの立場や過去を共感し、悔いているようにも感じた。

同類同士、その後悔を許し、認め、笑って欲しそうな口ぶりであった。

 


どちらにせよ、人間同士の腹の奥がちらちらする会話であった。

 


カフェで聞こえてくる会話が好きで、一人でカフェにいる機会があればふと耳を傾けてしまう。

他人の人生が静かに流れ、交差し、過ぎていくのを、ぼーっと傍観している気分になれるので、カフェは不思議な場所である。

きっと自分の中にも静かに人生が流れているのだろう。

 


鐸木さんが「質問箱の回答つまらねぇからこっちにネタ書け」と言ってきたので、今日はこんな感じで書いてみました。

また何かあれば書くかも知れません。

その時はどうぞよろしくお付き合い下さいませ。

 


それでは今回はこの辺で。

花岡でした。

日差し【花岡】

 

花岡です。

鐸木さんからようやくバトンが回って来ました。
ここいらでちょいと発破かけねばと思いますので、 めっちゃ早く更新してやろうと思います。

 

日差し。嫌いでした。
暑さと紫外線に弱いです。 暑いとすぐ火照ってしまうし日に焼けると肌がすごいことになるの で、なるべく夏場は外出しないようにしています。

しかし最近、日差しも必要だなとも思ってきています。

まず洗濯物。早く乾きます。
私は喫煙者なのでなるべく部屋の換気を心掛けていますが、 窓を開ける時はやっぱり晴れていた方がいいですね。
雨の日に荷物が増えることが嫌で避けてしまう買い物も、 日が出ていれば「あー今日買っておこう」とか思えます。
朝になってカーテンを開けて朝日を浴びると、「あー朝だね」 ってスイッチが入る気もします。

不思議なことに、年々日差しが好きになってきています。
学生時代は大っ嫌いだった。
日差しというより、朝が嫌いだった。 朝になったらベッドから出て学校に行かなければならないから。
……暗い話になりそうなので、この辺にしておきましょう。
とりあえず朝は嫌いでした。

年々、好きなもの、嫌いなもの、変化が起こり続けています。
最近、 以前は食べられなったものが食べられるようになるという現象が著しいです。
固形のニンニク。塩辛。ブラックのコーヒー。チョコミント。 辛いものは苦手だったのですが、最近はよく七味をかけます。 あと麺類より白いご飯が美味しいと感じるようになりました( 特に夕飯は白米ですね)。

夜になるとワクワクしていたけど、「 朝が辛いだろうから早めに寝よう」と思うようになりました。
自分が食べるもの以外、料理なんて面倒くさかったけど、 誰かの為に作りたいと思えるようになりました。
心身ともに健康的に暮らせるように掃除も率先してするようになっ たし、 お笑い番組は苦手だったけど誰かと一緒に笑えることは幸せです。
笑ってほしい人がそばにいる時、 人間は自然と日差しのある生活を求めるのかも知れませんね。

彼氏が出来ました。
実は去年の秋ごろから始まっていたりしました。

 

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クリスマス


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バレンタイン


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紫陽花散策

 

一言言えることは、今とっても幸せです。
毎日おひさまと一緒にいます。
たまに雨が降ったってへっちゃらです。

 

では鐸木さん、次は「写真」で。

 

枯渇【鐸木】

7月です。

3月にテースターズが終えまして、私生活で一生懸命になっておりましたらもう7月です。早い……。

 

改めまして、テースターズありがとうございました。

遅い!

もう三か月以上前です。

早……。

一個の公演が終わると、力が抜けてしまうというか。まあ、うちは小規模な団体なのでそんな大きなことを成し遂げたわけではないのですが、出し切った気分になってしまいます。

終わった瞬間はいつも乾涸びてしおしおです。

もうしばらくなんもしたくないな、なんて思ってる。

(この状態が少し気持ち良かったりする)

 

「枯渇」ってのは

・干上がって水がなくなること

・尽きはててなくなること

らしいですが、ということはこの終わった瞬間は「枯渇」状態なのでしょうか。

もうなんも湧いてこないな、って気分

 

だけどこうして演劇のない日常が三ヵ月も続くと、

ふと「次何やろっかな」なんて考えている。

また水が滴りはじめている。

 

それにしても周りを見ると次々に公演をやって、1日休んでまた次の現場、なんていう人たちがたくさんいてすごいなあと思う。それに比べて私の歩みの遅さよ。三ヵ月もしないと次のことが考えられないなど。

彼らは枯渇しないのだろうか。

あ、喉が渇くから次々に摂取したくなるのか?

彼らは演劇で喉が潤うのか。

 

ということは私は…演劇で何かを枯らして、補うために演劇以外のことをやらないと、喉が潤わないのか?

 

その何かって……

 

……

 

……金?

 

 

残念な答えに行きついちゃったな。

 

金はなくなっても、

やりたいことだけは枯渇しないようありたいですね。

 

なぞのまとめになったところで、

花岡さん次は「日差し」